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Sanukibahn/Sanuki Railway/讃岐鉄道

 鉄道の街多度津の基礎を築いた「讃岐鐡道」と、そこで提供されていた元祖ドイツ式ハンバーグ『フリカデレ』を紹介いたします。

 明治22年5月23日、に丸亀〜多度津〜琴平間で開業した讃岐鐡道會社。 多度津に本社を置き、現在のJR四国の母体となった鉄道会社です。滑出しは順調で、丸亀や多度津の港から沢山の金毘羅詣での乗客を運んでました。
 当時の機関車はドイツのホーエンツォレルン社製(下図)、客車もドイツのファン・デル・ティペルン社製でしたので、本社のあった多度津の車両整備工場にはドイツ人技師が幾度も訪れていたことでしょう。



 ところが暫くすると、丸亀〜高松の延長による投資と全国的な不景気の影響で経営が苦しくなり、倒産の危機を迎える。その責任をとるかたちで、明治30年4月に創業者景山甚右衛門が退陣し、代わって大阪の日本物産社長の甲斐宗治が社長となる。しかしながら、この会社存亡の危機のときにあって大阪に在住して社長不在であったため、讃岐鐡道会社の大株主であった大塚磨常務は、山陽鐡道会社に居た息子の大塚惟明を讃岐鉄道會社に移籍させ総支配人という地位を与えて会社改革の総指揮をとらせます。明治31年3月のことです。
 就任するや惟明は会社改革に着手、大幅なリストラを行うとともに、集客向上のために積極的経営に乗り出します。
 その一つとして、明治34年(1901)6月から列車に食堂車の営業を開始します。日本初の食堂車は明治32年の山陽鐡道会社ですので、その二年後のことです。
 讃岐鐡道の食堂車は『喫茶室』と呼ばれておりましたが、アメリカで本格的に修業したコックを高級で雇い、車内にはストーブを設置し加熱調理するという本格的なものでした。遺された当時のメニュー(下図)を見てみますと、
 ・ビーフステーキ
 ・フライ
 ・ヲムレツ
 ・フルカデレ
 ・コロッケ
とあります。更にビール・カステラもあります。
 さてここに登場する『フルカデレ』ですが、ハンブルク発祥の古い郷土料理で、少し小さ目のハンバーグで、今でもドイツ・オランダ・デンマークで人気の料理です。

 この時代にハンバーグ料理があること自体大変珍しく、資料上、日本最古のものとなります。これは讃岐鐡道が車両にドイツ製のものを採用していたことと関係があると思われます。
 更に、この食堂車ではうら若く見目麗しい『女ボーイ』と呼ばれる少女(下図)が乗務し給仕にあたっておりました。この女ボーイは本邦初の女性乗務員となる存在で、最先端の洋食と日本初の女給は全国的話題となりました。


 この讃岐鐡道は明治37年12月1日、山陽鐡道と合併し同社讃岐線となり、後に国有化され予讃線と土讃線となった鉄道で、これゆえ多度津は『四国鉄道の発祥の地』、『ハンバーグ発祥の地』、『女性乗務員発祥の地』となるのです。
 

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