Wiener Cuisine Restauant
Zum Roten Igel
いはりねずみ

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Higashishirakata352-4
Tadotsu,Kagawa

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Frikadellen/Frikadelle/フリカデレ

 ドイツの元祖ハンバーグ「フリカデレ」の御紹介

  

 日本で最も馴染の深い洋風料理といえばなんといってもハンバーグ。
 子供の頃に洋風の御馳走でもあったハンバーグ。

ここ多度津にあった日本最古のハンバーグ料理の記録。
 
《ハンバーグの由来》
 ハンバーグはドイツから来たものでしょうか?アメリカから来たものでしょうか?
 ハンバーグ発祥の地とされるドイツには、『ハンバーグ』と呼ばれる料理はなく、北ドイツにある港町ハンブルグの名物料理『フリカデレ(Friladelle)』、首都ベルリンの『ブレーテ(Brelle)』、南ドイツのミュンヘンの『フラ一イッシュフランツェル(Fleischpflanzerl)』が原型とされます。
 フリカデレは12世紀にヨーロッパに進出を試みたモンゴルのタタール人に由来します。タタール人は馬の肉を馬に蹄で潰させてミンチのように柔らかくして生で食べていました。時代と共にドイツにおいて馬肉から牛肉や豚肉をミンチにし玉葱や卵を加えたり、パンや牛乳を混ぜたりしたことがこの始まりと言われています。
 ドイツでは17世紀頃より文献にフリカデレの名が登場します。油を使って焼くという意味のフランス語”Fricandeaux(フリカンドー)”の名が西ドイツ地域で使われるようになり、更に”フリカデレ”と呼ばれるようになります。
 18世紀になると日常的に家庭で作られ一般化します。
 1700年代にヨーロッパ最大の港であったハンブルクからアメリカ大陸へ多くの移民が渡ります。彼らは家庭でフリカデレをよく作っていました。
 1850年頃になると、ドイツの裕福な人々がハンブルクから船に乗り、新世界アメリカへ旅行するようになります。アメリカに居たドイツ人移民は、長い船旅で到着するニューヨークで「ドイツの味をアメリカでも」と、港の周りでレストランを開きます。ハンブルクから到着した観光客や船員達にフリカデレを『ハンブルク風ステーキ(Hamburger steak)』と名付け提供し、人気となります。但し当時はフリカデレ同様にソースをかけることなくマスタードを添えるだけの料理でした。
 そこに医者であったスールスブリー(Salisbury)がブラウンソースをかけることを始めました。このソールスベリーステーキは1897年頃にはアメリカでポピュラーな料理となっていました。
 明治時代にアメリカから多くの旅行者が日本を訪れます。当時の日本は外国料理は無く、アメリカからの訪問者から「我々の肉料理を」と注文され、横浜港の周辺の食堂の店主達が「ソールスベリーソテーキ」を教わったり、アメリカの雑誌を見て知ったりというふうに研究し、横浜のレストランで、アメリカ風に「ハンブルク・ステーキ」という名前で提供されたのが始まりとされます。
 日本人が初めてハンブルグ・ステーキを知ったのは明治15年に赤堀割烹教場で披露されたときとなっていますが、文献に登場するのが明治36年(1903)出版の村井弦斎著『食道楽』の「挽肉ステーキ」や明治38年(1905)出版の『欧米料理法全書』(高野新太郎編)の「ハムボーグ・ステーキ」であるが、明治年間に多度津に本社のあった鉄道会社讃岐鐡道』の食堂車の御品書きに登場する『フリカデレ』の方は明治35年(1902)12月と更に古く、前記の料理本と違って、食堂車という列車内レストランで不特定多数の乗客を相手にするもので、一般民にハンバーグ料理を提供していたという貴重な日本最古の資料である。
 日本においてハンバーグは大正時代に軍隊食として、昭和に入って代表的な洋食として普及することになるが、偶然にもレストラン『赤いはりねずみ』のある四国の多度津の地に、日本最古のハンバーグ料理の痕跡が認められるのは驚きである。

(明治35年の讃岐鉄道食堂車の御品書きに登場する『フリカデレ』)



野田浩資著『野田シェフのドイツ料理』里文出版、弊著『讃岐鐡道もっこす物語』等より

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